思えばラジオを聴き始めたのは小学校3年か4年の頃かな。

最初はテレビ中継されない序盤と終盤のジャイアンツの試合を聴きたくて。

その後、深夜放送にハマり、好きな歌手の番組もよく聴きました。

しかも北海道の放送局ではない、東京での放送番組をひどい雑音と共にわざわざ受信して聴いてました。

そして笑ったなあ。。。

中学校から高校にかけては、併せてFMラジオもよく聴きましたね。

やっぱり、音楽情報の入手のほとんどはラジオだったかな。。。

そして高校卒業後、日中は仕事をして夜は学校へ。

仕事中のトラックの中で、初めて聴いたのが「ウィークエンドバラエティ・日高晤朗ショー」

衝撃的だったなあ・・・。

ペンネームを使わせない、リスナーとは言わない、自分の意見をハッキリと言う・・・。

「えー」、「・・・と思います」、といった無駄な言葉は使わない、使わせない。

番組内でもアシスタントやアナウンサー、中継レポーターをその場で注意。

それでいて、番組全体が暖かい、やさしさに溢れていて、あっという間にその魅力に取り付けかれました。

それはそのまま「日高晤朗」という人間の魅力そのままでしたね。

日高塾でそれを確信しました。

当たり前だけど、電波を経由しない生身の晤朗さんは、もっと凄くて、もっと厳しくて。

でも優しくて・・・。

そして晤朗さんのおかげで、更にラジオが大きく生活の一部となりました。

情報を受け取り、若い時代には考え方や行動の指針にもなりました。

多分、晤朗さんがいなければ結婚も独立もしていないでしょうし、音楽も続けていないと思います。

それぐらいまでの凄まじい影響力でした。

でも近年はさすがにインターネットが普及して、やはりラジオから情報を得る機会は減りました。

また、各放送局の番組自体の質も低下してきた様にも感じていましたし。

それでも晤朗ショーだけは別格でした。

30年以上もトップを走り続け、色褪せない、こんな番組は多分この先、生まれないでしょうね。

ここ北海道でそんな番組に出会えた事、そして日高晤朗さんという素晴らしい人と時代を共に出来た事ってとても素晴らしい事なんだと思います。

とても偉大な番組は失いましたが、これからも多分ラジオはそのまま生活の一部であり続けるとは思います。

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